高槻・歴史

大阪府高槻市の歴史を紹介しましょう。
高槻市は、国内でも有数の"古墳群地帯"として名前が知られています。
古墳時代初期から末期までの各時代の古墳が現存していて、観光スポットとしても人気があります。
特に、前方後円墳の中でも最大級と言われている「今城塚古墳」があります。
社会科の教科書にも、必ずと言って良い程掲載されているので、確認してみましょう。

それから、史跡今城塚古墳附新池埴輪製作遺跡(通称、新池遺跡)は、日本最古最大級の埴輪工場で、 新池遺跡ハニワ公園として保存、人々に公開されているのです。
このように、日本のさまざまな時代の歴史を形として残した場所でもあるので、その歴史も深いです。
室町時代には、富田が浄土真宗の北摂布教の拠点として栄えていて、"高槻"という地名がありました。
戦国時代には、三好長慶や高山右近が拠点となり、 安土桃山時代には、高槻領主高山右近がキリシタン大名だった影響もありキリスト教が広がりました。
キリスト教の典礼暦における最も重要な祝い日でもある"復活祭"を、 日本で最初に営まれたのは、この高槻市なのです。

そして、キリスト教の廃止や踏絵など、日本でキリスト教が全面的に禁止された江戸時代もあり、 明治時代には、隠れキリシタンの里として、発展しました。
昭和時代からは、大阪市と京都市の2つの大きな都市のヘッドタウンとして宅地開発が進んでいます。
その影響で人口が急増して、1975年には30万人超え、1995年には36万人を超えた大きな市となったのです。

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